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Daisuke Kono

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トオルは自宅から自転車で学校に通っていた。勤務先の学校は自分が通っていた母校なので通勤には10分とかからない。陽が傾いてきた夕方6時20分。職員室で仕事を終えたトオルはいつものように自転車で自宅に戻ろうとしていた。だが、今日のトオルの心はいつもとは違い、双葉咲と会話をしたことが彼の気持ちを弾ませていた。咲の顔をあんなに間近で見つめたのも初めてだったので、彼女の顔や声を思い出すとまだ胸が少しドキドキした。
 
トオルの卒業した大学は神奈川県にあり、トオルにはその頃1年半付き合った彼女がいた。トオルが所属していたスポーツサークルは、他大学でも入会できるいわゆる「インカレサークル」というもので、彼女も他の大学に通うその一人だった。
彼女に初めて出会ったのは新歓[しんかん]コンパ(新入生と仲良くなるための飲み会)で、彼女はまだ1年生、トオルは2年生になったばかりだった。1年間はお互い特に意識することもなかったのだが、トオルが3年生になってすぐのこと、毎年春に他大学同士が集まって行われる大きな大会があるのだが、その試合に向けて練習する恒例の合宿所で、後輩だった彼女の方からトオルを外に誘い出し、「付き合ってほしい」と告白してきた。トオルは驚いて、「自分なんかで良いのか?」と聞き返したが、彼女は笑いながら「はい」と答えた。トオルも彼女のことは嫌いではなかったし、女性から告白されたのも生まれて初めてだった。そして、数日考えた後、断る理由も見つからなかったため、トオルは彼女と付き合うことにした

二人は普通のカップルと同じように何度もデートを重ね、時にはケンカもしたが、二人で過ごしたほとんどの時間は楽しいものだった。トオルの方は卒業後も付き合っていくつもりでいて、もしかしたらこのまま彼女と結婚もと考えることもあった。しかし、彼女の考えは違っていた。トオルの就職が決まった直後、久しぶりに彼女から「トオルに会いたい」という連絡があった。トオルはてっきりお祝いをしてくれるものだと思い、二人でゆっくり会えるのを楽しみにしていた。しかし、彼女はトオルに会うや[いな]や少し[うつむ]いた表情を浮かべて、「別れてほしい」と切り出してきた。急な事にトオルは驚き、その理由を尋ねてみると、
 
「トオルのことを嫌いになったわけではない。ただ、トオルも仕事が始まるとお互い遠距離になるし…このまま二人の関係を続けていく自信がないの。それに…トオルとの結婚は私には正直、考えられない…ゴメン。」
 
とだけ彼女は答えた。トオルはその場で固まってしまい、彼女を怒ることさえできなかった。というより、自分には彼女を引っ張っていくだけの強さや頼りがいがなく、そのことを彼女に見抜かれているということがわかって、改めて自分の未熟さを痛感した。
それから、彼女とはそこでそのまま別れた。トオルはその夜、一晩中泣いた。1週間程は外にもほとんど出ず、引きこもりがちになった。トオルはそのとき初めて、自分が思っていた以上に彼女のことが好きだったことに気が付いた。しばらくして元気を取り戻したトオルだったが、それ以来彼女とは会っていないし、一切連絡も取っていない。
 
トオルが女性と付き合ったのは後にも先にもそれっきりで、これまで女性に[えん]が無いというよりも、そのような別れのトラウマもあってか、なかなか恋愛というものにずっと踏み込めずにいた。「もう人を好きになれないかもしれないな…」そんなことを考え始めた矢先、双葉咲が現れた。トオルは運命だと思った。まぁ恋をするとみんなそう思うのかもしれないが、少なくともトオルがそんなふうに感じたのは、咲が初めてのことだった。
 
トオルは古びた自転車をこぎながら、咲に相談された内容を思い出す。

「いじめか…明日、根本の方から先に事情を聞いてみるかな。おそらくまだ事態はそれ程悪くなっていない。自分ひとりでやってみるかな。」

最後までマンネリ化した一日と違い、今日は新鮮だった。家に着くと、いつものように玄関を過ぎた庭先にある母のオートバイの横に自転車を止めた。ふと西の空を眺めると、[]は少しずつ長くなってはきているものの、茜色[あかねいろ]の空はすでに闇に覆われ始めていた。自転車に鍵をかけ、庭を通って玄関まで戻る。トオルは心の中で、「今日も一日お疲れさま」と自分自身に[とな]え、ひと呼吸置いて家の玄関の扉を開けた。
 
「ただい…わっ!」
 
「こら、待ちなさい!」
 
ドサッ!!

玄関を開けるやいなや、トオルの視界の中に黒い[かたまり]のようなものが勢いよく飛び込んできた。


※トラウマ:個人にとっての心理的打撃とその傷跡のこと。精神的外傷。
※マンネリ:表現が型にはまっていること。ここでは、単調的でつまらないの意。
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