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Daisuke Kono

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トオルは思わず後ろに倒れこんだ。黒い塊はまだトオルの視界を[さえぎ]っている。

(な、何だこれ?う、動いてる!?)

トオルはびっくりして、自分の顔にしがみついているその黒い塊を[つか]み取った。それは一匹の真っ黒い子猫だった。
 
「ミャ~!」
 
「あら、トオル!おかえりなさい。ごめんね。猫ちゃんの体、洗ってあげようとしたら暴れちゃって…大丈夫?怪我[けが]なかった?」
 
トオルの母、幸子[さちこ]が玄関まで心配して出てきた。というよりは、猫を追いかけてきたみたいだ。お風呂場かどこかにいたのだろう、母の髪も服もびしょ濡れになっている。幸子は今年54歳になるシングルマザーで、背はトオルと同じぐらいで女性にしては少し高め。髪は肩ぐらいまであり、毛先の方は少しパーマをかけている。見た目はしっかりしているように見えるのだが、おっちょこちょいで少し天然ボケな性格だ。しかしながら一人親のトオルにとって、誰よりも彼を信頼し理解しているのが彼女でもあった。
 
「うん、びっくりしたけど…怪我はないよ。ただいま。それより何、こいつ。どっから転がりこんできたの?」
 
トオルは猫の体を掴んだまま立ち上がると、母に尋ねた。
 
「この猫ちゃんね、ほら、3丁目に駐在所[ちゅうざいじょ]があるでしょ。10日ぐらい前って言ってたかな。何か急に野良猫が1匹やってきたらしいの。で、あそこの駐在さん、山本さんっていうんだけど動物が大好きでね、[えさ]をずっと与えてたらしいのね。そしたら猫ちゃん、山本さんと駐在所が気に入っちゃったみたいで、そこに居座っちゃったんだって。」
 
山本さんは仏頂面[ぶっちょうづら]の中年のお巡りさんで、この付近のパトロールにもよく来る。1年ほど前に2丁目のお金持ちの家に泥棒が入ったとか何とかで、彼が犯人と格闘してとっ捕まえたっていうのが噂になったことがある。あの山本さんだ。
 
「ああ、山本さんなら知ってるよ。猫好きだっていうのは知らなかったけど…。で、何?何でコイツがここにいるわけ?」
 
トオルは猫の体を持ち上げマジマジとその顔を見た。初めは子猫だと思っていたが実際の大きさは子供の猫と大人の猫の中間ぐらいで、混ざりっ気のない真っ黒な短めの毛にぴょんと立った小さな丸い耳がついている。さらに、体のわりに少し小顔で目は透き通るような美しく綺麗なブルー目蓋[まぶた]をパチパチさせてトオルを見つめ返す。可愛らしいその両目を開いて…じゃない!
 
「母さん!こいつ、右目が…!」
 
よく見ると青い目が開いているのは左目だけで、右目には[ひたい]から[ほお]にかけて血は出ていないが幅3mm程の長い傷がある。それがちょうど目の辺りを[ふさ]ぐような形になっていて右目が開けられない…いわゆる隻眼[せきがん]だった。
 
「そうなの。その子、片方の目が開けられないみたいなの。何があったか知らないけど、かわいそうでしょ?それでも山本さんは顔が可愛いって言ってお気に入りだったみたい。何かジブリ[・・・]に出てくるジジちゃん見たいだって。あ、山本さんは猫だけじゃないのよ。動物全般が好きなの。」
 
ここで母の幸子がいう「ジブリ」とは、宮崎駿[みやざきはやお]氏が作るアニメ作品の総称を指している。その中で黒猫が出てくる作品といえば、「魔女の宅急便」だ。トオルはジブリ作品自体はあまり見たことがなかったが、レンタルビデオ屋で作品のパッケージをいくつか見たことがある。TVでもよく放送されているので、ストーリーも大まかには知っていた。確かにあの作品に出てくる黒猫はこんな顔だったか。でも猫の顔だ…まして黒猫。どれも似たようなもんじゃないのか?とトオルは思ったが口には出さなかった。「でも山本さんも結構よく知ってるんだな、ジブリ作品…」山本さんの年齢と顔を知っているトオルは、その意外性がおかしくて思わず笑いそうになった。
 
「どっちでもいいよ。ま、とにかく中に入れてよ。服も着替えたいし、風呂にも入りたいしさ。」
 
トオルは玄関の扉と鍵を閉めると、とりあえず猫を床に放して自分の部屋に服を着替えに行った。そこでスーツとカッターシャツを脱いだ後、下には薄いジャージだけをはいて母親が夕食を作っているキッチンへと向かった。彼女の話によると、しばらくは駐在所でこの猫(今はキッチンにある食卓机の下で丸くなっている)を飼う予定だったのだが、駐在所にいる他のお巡りさんの中には猫が苦手な人もいるらしく、誰か他に飼ってくれる人を探していたらしい。そこにたまたまトオルの母が訪れて、かわいそうだからと連れて帰ってきたというのだ。
 
「母さんも物好きだね。ま、俺は別にいいけどさ。でも、いいの?世話の事とか。お金も結構かかるんじゃない?俺はあんまり動物のこと、詳しくないし。」
 
トオルは心配して尋ねたが、
 
「私はいいの。動物好きだしね。それにトオルが中学生だった時から高校まで、ずっと二人暮らしだったじゃない?大学に行っている間はここで一人ぼっちだったし、[さび]しかったのよ。今はトオルがこっちに戻ってきてくれたけど、もう一人ぐらい家族が増えても家が明るくなっていいでしょ?」
 
トオルの父親は彼が中学2年の時に交通事故で他界した。それ以来、トオルの母は女手一つでトオルを育ててきた。幸いにも父親が生前していた仕事のおかげでお金に困ることはなかったし、幸子も時にはパートをしたりしながらトオルをここまでしっかりと育て上げた。トオルは片親になっても大学まで行かせてくれた母にとても感謝していた。
 
「わかった。母さんがいいなら俺は別に構わないよ。」
 
「ふふっ。トオルの了承[りょうしょう]がもらえて[うれ]しいわ。ま、ダメって言われても私は説得するつもりだったけどね。」
 
その日の夕飯は肉じゃが、酢の物に大根のお味噌汁、あとお昼の残り物がちらほらという感じで、母は机の下で丸くなっている猫にも嬉しそうにネコマンマや夕飯の一部を与えた。猫はお腹が[]いていたらしく、あっという間に出されたご馳走[ちそう]を平らげると再び丸くなっておとなしくなった。
 
「さてと…風呂[]いてる?先に入るよ。」
 
トオルは夕飯の後に、すぐお風呂に入るのが習慣になっている。
 
「お風呂は沸いてるわ。ただトオル、悪いんだけど母さん今から夕飯の片付けしなくちゃいけないから、この猫ちゃんいっしょにお風呂に入れて体を洗ってあげてくれないかしら?さっき私が入れようとしたんだけど嫌がって逃げちゃったの。ちょっと[にお]うみたいだから…お願いしてもいい?」
 
「…ニャ!?」
 
トオルは丸くなっている猫を持ち上げ、体の匂いを[]いでみた。確かに元野良だからなのか、少し匂うようだ。
 
「よし、いっしょに入るか!暴れるなよ、綺麗にしてやるからな!」
 
トオルは猫を連れてキッチンの隣にある脱衣所に入ると、逃げられないように入り口の扉を閉め服を脱ぎ始めた。
 
「あ。あと、お風呂上がったら猫ちゃんの名前、いっしょに考えましょう!」
 
キッチンの方から幸子の声がドアを通して聞こえてくる。
 
「わかった!でも、先に考えてくれていいよ!母さんが気に入ったのにするから!」
 
「ふふ~ん♪」
 
幸子の鼻歌が聞こえてくる。かなりご機嫌のようだ。母さんのことだしどうせすでにこいつの名前をいくつか考えてあるんだろうと、トオルは思った。服を脱ぎ終わったトオルはお風呂場の扉を開けた。お風呂場は沸いたばかりのお湯の熱気で一杯だった。猫はさっき幸子が体を洗おうとするとかなり暴れたようだが、今は比較的おとなしくしている。

(よーし、チャンスだ!)

トオルは猫の首根っこを[つか]んでお風呂場に連れ込むと、扉をきっちりと閉めた。これで完全に逃げられない。トオルは自分の体と頭をすすぎ洗うと、今度は横でおとなしくしている猫の体も洗い始めた。子供の頃、友達の家の猫を触ったことはあるが、自分で飼ったことはないので普通に洗って大丈夫なのかとも思ったが、猫は意外にも気持ち良さそうな顔をしていた。
 
湯船[ゆぶね]にもいっしょに浸かるか?」
 
「ニャ!!」
 
まるで自分の言葉を理解しているかのように返事をしたので、トオルは思わず笑った。猫の体を洗い終わった後、その体を両手で持ち上げるとトオルは猫といっしょに湯船に[]かった。すると猫はトオルの手をすり抜け器用にもバスタブの[ふち]を掴み、[湯船に体を浮かせて大の字になった。「まるで人間の子供みたいだな」トオルはそう思った。
 
「こいつの名前かぁ。何がいいかな。」
 
トオルが一人言を言った、その直後だった。
 
「そんなに名前を知りたいかい?」
 
トオルの耳に20代ぐらいの若い男の声がお風呂場に[ひび]いて聞こえた。トオルは思わず湯船から立ち上がった。猫は相変わらずゆったりしている。しかし、聞き間違いではない。確かに男の声がはっきり聞こえた。
 
「誰だ!?」
 
トオルはお風呂場の中の少し高いところにある3分の1ほど開いた窓から、背伸びをしてそっと外に顔を出した。外には誰もいないし人の気配もない。「気のせいだったのか」そう思って再び湯船に浸かった。
 
「名前を知りたいんだろ?」
 
まただ!一体何なんだ!?トオルはそう思い、再び湯船から立ち上がって、

「おい!出てこい!誰だ?どこにいる!?」
 
と言って上の窓に手を伸ばしかけたちょうどその時、トオルの耳に再びあの若い声が飛び込んできた。

「そっちじゃねぇよ。こっちこっち、下だよ下!」 
 
トオルはそっと下を見た。下にはバスタブ一面のお湯、それ以外は何もない。あるとすればバスタブの底に[つな]がれているゴム栓、いるとすれば黒いネコだが…。その時、湯船に浸かっている隻眼の黒猫が顔をゆっくりとこちらへ向けて、片方の青い目でトオルを見つめて言った。
 
「そう、オレさ。ト・オ・ル・さん!」
 
ね、猫が…しゃべった!!トオルは猫から離れるように思わず身を引いた。しかし、バスタブはそれ程広くないため、猫と距離を取るには限界があった。その時、トオルの頭の中ではいくつかのジブリ作品のパッケージが走馬灯[そうまとう]のように[]け巡っていた。
 
「ホンモノだ…!」

これが椎名トオルと言葉を話せる奇妙な猫との、初めての出会いだった。


駐在所[ちゅうざいじょ]:交番と似た、常時人員を置いて警察活動を行う官舎[かんしゃ]のこと。ここでは、複数の警察官が勤務する複数駐在所の意。
仏頂面[ぶっちょうづら]:無愛想で不機嫌な顔つきのこと。
隻眼[せきがん]:片側の目そのものやその視力を失った身体障害の状態のこと。
走馬灯[そうまとう]のように駆け巡る:人が死ぬ間際などに、過去のイメージなどがアニメーションのように走って見えること。

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